中高生時代は暴走族が全盛期だったので、まさか自分が乗ることになるとは夢にも思わなかった。
でも1980年前後は空前のバイクブームでCB750F、XJ、GPZ、VT、RZ、そしてSR等々魅力あふれるバイクがいっぱい発表されてたんだよね。
だんだんバイクが気になってきていた。男の子だもんね。
高校の同級生が隠れてDTや、XJに乗ってたりした。
3ナイ運動のメッカの県だったので、停学処分との戦いだった。
で、大学生になって自動二輪の免許を取った。
あの頃の工学部のキャンパスはバイクであふれかえっていたよな。
というわけでモトバイクの歴史を振り返ってみよう。
1.スズキGF250 19歳から22歳位 1985~1988
親に買ってもらったバイク。
なぜスズキか?アパートから一番近い所に店があったから。それとクラス初の4気筒という文句に引かれたようだ。
今思うと最初に乗るバイクにしてはエンジンが神経質で扱いにくかった。プラグがよくかぶった。
これ以降スズキのバイクは買っていない。
それでも最初のバイクは楽しくて、実家ツーリングや、伊豆、新潟などへ行った。
2.ホンダMTX125 23歳の1年間 1988~1989
2ストロークのモトクロッサー。北海道へ行くならオフロードだろう、という思い込みでGFから買い替えた。
親からもらったバイクを勝手に売り払うなんてひどい子供だ。
初秋の1か月、北海道をツーリングした。
次に来るときは絶対
”大型バイク”で
”夏”に来よう
と決意させてくれた。北海道は広すぎた。寒すぎた。
それから結局北海道へは行っていないが。
3.ホンダXL250 1989~1990?
東京で仕事に就く事になり車もバイクも手放した。東京じゃ乗れないだろうと思って。
住んでみて案外そうではないことに気が付いた。
そして休日に電車以外の手段で手軽に出掛けられないストレスがあまりに大きくてとにかくバイクか車が欲しくなった。
でも新人で金も無い。そしたら会社の先輩から安く譲ってもらえた。
湘南、丹沢、相模湖あたりを良く走った。
前任者を含めてメンテナンスに気を遣わなさ過ぎてエンジンを壊してしまった。
オイル交換は何をおいても大事、ということを学んだ。
4.ヤマハSRX250F 1990~1995
関東では走って楽しい所まで行くのにかなり走る。
そのリエゾン区間をオフ車で走る事に苦痛に感じ出していたこともあり、オンロードバイクにした。
キックスタートにも嫌気が指していたんだな。
250cc以下では一番気に入ったバイクだった。軽くてトルクがあって。
このバイクでも良く走ったなあ。
ビーナスラインを会社の仲間とツーリングしたのがいい思い出だ。
転職して信州にも持ってきた。
一番長い間乗っていたと思う。
志賀高原の登りでこっちは単気筒の振動でビリビリしびれて必死で登っているのに、軽々とZZR400に抜かれた時に、排気量を上げようと決意させられた。
5.ヤマハディバージョン400 1995~1997
空冷インライン4の美しくてとても素晴らしいバイクだった。排気音も良かった。
高速もラクラク走れ何より疲れない。でも時代の巡り合わせが悪かった。
6.大型二輪免許の取得
1995年に免許制度が改正になり大型二輪が教習所で取れるようになった。市内の教習所でも始まって入校を半年待たされたが大型二輪免許を取った。
今はどうか知らないが当時の教習はそれはそれは厳しく、2時間続けての教習が終わるとバイクも人間もへとへとになった。(オーバーヒート寸前)
既定の2倍の時間で終われば良いほうで3倍くらいみんな通わされた。
今まで何も知らずにバイクに乗っていたんだな、と思い知らされる教習だった。
おかげでライディングスキルは格段に上がった。と思う。
みなさん
フルステアで八の字走行なんてできます?
エンジンのジャイロ効果で車体を切り返す感覚わかります?
教習車だったヤマハFZX750、いいバイクだったな。
教習所通いと同じ時期だったのでディバージョンの印象がほとんどない。
それでも1年位は乗ったのかなあ?
奥さんとは大型二輪免許だけ取らせてくれ、という約束だったんですが、守れるわけもなく・・・
7.ホンダST1100 30歳前後 1997~1999
来ちゃいました。リッター越えの逆輸入バイク。
なんでよりによってこんなバカでかいの選んだんだろう。
縦置きV型4気筒、シャフトドライブ、サイドパニアケース付き、フルカウル。
1泊2日で盛岡、八幡平、田沢湖
日帰り岐阜高山
さすがに疲れるけど高速を使えば1日500kmは走れた。
290kgの図体はでかいけどアクセルをひねれば異次元の加速。ジェット機か?高速道路を走っている車が単なるシケインになる。
でもこのまま乗り続けると、命(事故)か免許(免取)か家庭のどれかを早々と失うことになる、と思った。
ちょうど2人目が生まれたころ。
大型免許取得からの流れで二輪に対して目が攣りあがっていた。
仕事も忙しかったけど、休日は二輪にばっかり目が向いていて家庭を顧みなかった。
これはまずい。
2年弱の間乗って車検を通さずに手放した。
このころからあまり乗る時間が無くなっていく、と同時に乗る気も薄くなってきていた。
8.ヤマハDT125 1999~2002年ころ
いきなり何もなくなるのは寂しいのでSTを売ったお金の半分くらいで入手した。
近場で乗るには最高のバイクだった。ときどき近くで遊んだ。
でも、息子も僕もサッカーを始めたり、下の娘も大きくなってきて乗る時間が無くなった。たまに乗ろうと思っても、キャブからガソリンがあふれたり、2スト特有の白煙がひどくなったりしてきた。
使われていない機械を見るのは寂しいもんだ。DTももっと乗ってくれと訴えているようだった。
しばらくして手放したように思う。いつだったかは覚えていない。
30代の初めのころだったかな、バイクから下りたのは。
この最後の何年かはいわゆる趣味面での黒歴史だ。
やっぱり家族、健康(究極は命)、お金の余裕あっての趣味世界ということをこの時に勉強した。
これ以降最近までバイクに乗りたいと思わなかった。
バイクに乗りたい、と言い出すといろいろと蒸し返されそうで心の奥底で封印していたのかもしれない。
9.そして去年、時空を超えてSR400がやってきた。
不思議なものだ。
最初に発表されたのが1978年。ちょうどバイクに興味が出てきていた中学生の頃だ。
それが姿かたちを変えずに手元に来ている。
息子が何を思ったか社会人になってから免許を取り、即、買ってきた。
乗ってください!と、言っているのかもしれない。
車検代、任意保険を負担して、それなりの残価をお支払いするだけでいいとなれば持っていたいな。なんか青春回顧ライダーでいい感じ。
もしその残価が市場での価格並(今高騰しだしているみたい)を求められたらどうぞお売りください。ぼくは好みのバイクを買います。
という方針でいいかなと、夕べ思った。