1ミリが世界を変える

日々感じた事、考えた事。少しずつ積み重ねよう

お別れ

14年と8か月の間、いっしょに暮した猫が日曜日に永眠した。

我が家に拾われて来た時に高校1年生だった息子が結婚し、中学1年だった娘がバリバリと働くようになるだけの時間が経った。僕はまだ小麦アレルギーを発症する前で今は亡き親父の胃がんは見つかっていなかった。そういう年月だ。

捨て猫だったからかとにかく食いしん坊だった。

安いえさを与えていた時に食べ過ぎで腎臓を壊してしまい糖尿病を患っていた。ここ4年位は朝晩に僕や妻がインシュリンを打って命を繋いできた。

今までも3回死線をさまよい、そのたびに獣医さんに奇跡と言われる生還を果たしてきた。

どんなに瀕死の時も食欲だけは無くならなかったそんな彼女が、4日間もえさを食べずにずっと寝たままになってしまい、今回は無理かもと思い日曜の朝に家族に可能なら会いに来て、と連絡した。

娘は彼氏とのデートを中断してその日の午後にやってきた。彼氏がデート兼用で東京から車で送ってきてくれた。いいやつだ、ポイント上がったね。

娘が帰って来たとたん、立ち上がって歩き出しえさまで食べだした。その元気が仕事を終えた息子が顔を出す夜まで続いた。今回も危篤詐欺だといいね、なんて思ってたがそれは敢え無い希望だった。

みんなが帰った夜遅くに体がけいれんし始め、身を捩りながら苦しい喘ぎ声を何回も吐き出す。痙攣が起きるたびに心拍数が落ちていき深夜についに心音が消えて息絶えてしまった。

こんなに小さい動物でも死に向かうのは苦しいんだな。死ぬのは嫌なんだな、怖いんだな。ということを痛切に感じた。

えさを食べたのはせっかく会いに来てくれた人に良い所を見せるというパフォーマンスだったんだろう。死の前に元気な所を見せるということが、父の時と同様に動物でもあることに驚いた。親父の葬式の時に喪主だった僕は忙しすぎて泣く暇が無かったが、今回は泣かせてもらった。申し訳ない。

翌日、ペット葬儀屋さんで荼毘に付してもらった。人間並みにやると悲しみがぶり返すのでビジネスライクにやってもらった。

もう一匹年上だけど元気な猫がまだ家にいるのだが、彼女は一猫暮らしになってのびのびしている。仲間の死というのが理解の外にあるんだろう。それはそれで猫らしいというか。

教訓

ペットのエサはできるだけ高くて良い物を与えましょう。できれば獣医さん推薦の物を。寿命に関わります。