1ミリが世界を変える

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希望

「希望」とは

「Wish for something to come true by action(行動によって何かを実現させようとする気持ち)」と定義しています。「気持ち」、「具体的な何か」、「実現」、「行動」が4つの柱です。

中でも行動(アクション)が大事です。「希望」は内面的なものだと意識されがちですが、実際は社会や世間といった、自分以外の存在との関わりの中で生まれたり実現したりするもの。待ってるだけじゃなくて、自分から関わりを作っていく、自分から半歩でも1歩でも動いてみないと希望は希望にならないんです。

僕は「まんざらじゃない」っていう言葉がすごく好きでね。「まんざらじゃない」ってどちらかというと敗者の言葉ですよね。うまくいかなかったけど、まんざらじゃないなって。僕は、そういうのがすごく素敵だと思う。

——希望を持つため「仲間」は必要ですか。

「ウィークタイズ」という、社会学者・グラノヴェターが提唱した言葉があります。毎日顔をあわせるような強固な結びつきではなくて、たまにしか会わないような友人や知人との人間関係を言います。

いつも自分の近くにいてくれるストロングタイズは、安心感をもたらしてくれる関係性なんですね。自分と似ているから驚きはあまりない。たとえばFacebookなどのSNSは、一部の"うまく使っている人"は別として、逆にストロングタイズを形成する手段になってないでしょうか。同じ人と同じ情報をいつまでもぐるぐる共有しているだけで、そんなに揺さぶられている感じはしない。

一方、ウィークタイズは、自分と違う世界で自分と違う経験をして、自分と違う情報を持っている人だから、気づきを与える。同質化しているストロングタイズの関係からは得られないヒントがあります。

だから必ずメリットがあるかどうかさえもわからないウィークタイズを維持しようとすることが、希望にむかう「アクション」のうえで、すごく大事なんです。

——ウィークタイズを築けるのも一部の「余裕がある人」ではないですか。

僕はそんなことは思いません。ちょっとした手間暇、それが一番大事だと思う。毎年出している年賀状。手書き1行、「去年やれなかったアレ、今年はやりましょうよ」って書いてあるだけで全然違いますよね。案外そういうのが続くことが、いざという時に「よし、あの人と一緒にやってみるか」になるんですよね。

チャレンジという言葉は本来「異議申し立て」という意味だけれども、日常を自分の手で変えていきたいっていう、自分の中の小さな意義申し立てを習慣づけることだと思うんです。うまくいくかはわかりません。でもちゃんと決めて、ちゃんと言葉にして、ちゃんと行動する。そうすればまだまだ日本には、多くの希望は生まれるんじゃないかな。僕は思っています。

玄田有史氏プロフィール

東京大学社会科学研究所教授。労働経済学の研究者でニートや雇用問題などを研究する。2015年から「希望学」のプロジェクトを始める。著書に『仕事のなかの曖昧な不安中央公論新社/2001年)』『希望のつくり方(岩波新書/2010年)』など。